スウィートな成功:アラル海地域の養蜂家の生活を変えた10個の蜂の巣

アラル海地域では、養蜂家が漁師に取って代わる時代が来たのだろうか?

2025年1月28日
a group of people standing around a table

アラル海地域の養蜂家として経験豊かなバフティヤール・ジュバエフは、養蜂家志望者の指導に力を入れ、伝統知識・技術を伝承しています。 

Photo: UNDP Uzbekistan / Arslan Kannazarov

アラル海の90%が消滅した後、養蜂は同地域において新たな活路を見出しました。中央アジアにおける養蜂の科学的基礎は、ウズベキスタンの偉大な学者アブ・アリ・イブン=シーナー(アヴィケンナ)が築き、彼は蜂蜜を 「花がもたらす隠れた露 」と例えました。今日、養蜂は単に蜂蜜の生産だけでなく、地域の発展に欠かせない要素となっています。養蜂は、ウズベキスタン経済の主要な部門のひとつである農業を支えるだけでなく、食料安全保障を確保し、生物多様性を保全し、地域住民の収入源となっています。

a man standing in front of a building
a group of people standing on a sidewalk

養蜂家であるバフティヤール・ジュバエフの経験は、養蜂業界の発展そのものを物語っています。彼は1986年、蜂蜜の包装工としてプロの道を歩み始めました。3年も経たずして、23歳でその献身的な姿勢とプロ意識を買われ、年間生産量60トンに達する生産施設の責任者となりました。設備の老朽化もあり、困難を極めた移行期に施設が操業停止に追い込まれるまで、20年以上にわたり、彼は州の蜂蜜の生産管理に携わりました。

1990年代初頭、人生の転機が訪れました。大規模な移住が起こる中*、バフティヤール氏は、ウズベキスタンに残ることを選択しました。日中は建設現場で働き、夜は自らの養蜂場の運営に取り組みました。わずか10個の巣箱から出発し、他地域の経験豊富な養蜂家から技術を学びました。

*1991年のソビエト連邦の崩壊に伴い、経済的な混乱からロシア系住民を中心とする人口の流出が発生しました

「私たちの国には多くの農家がありますが、養蜂に携わる人はほとんどいません。養蜂は宝石作りのようなもので、職人技が必要です。養蜂を始めたばかりの人は、巣箱の配置から蜂の群れの行動まで、養蜂のいろはを理解するのに時間が必要です。ただ、蜂蜜の収穫に成功した後は、養蜂が生活の一部となります」と語るバフティヤール氏。 2017年は、ウズベキスタンの養蜂にとって転換点となりました。国の支援プログラムが開始されたことで、養蜂家は新たな機会に恵まれ、タシケントで毎年開催されるフェアでは全国の養蜂家が集結します。同年の2017年からUNDPとの協力が始まり、バフティヤール氏の事業は新たな章の幕開けを迎えました。彼はワークショップの一参加者から、次世代の養蜂家の指導者へと成長したのです。

日本政府の資金援助を受け、UNDPが実施している「アラル海地域における気候に対して強靱な農業を通じた自立支援計画」の一環として、バフティヤール氏の事業は最新の蜂蜜包装機器を受け取り、巣箱製造のための工房を開設しました。

「新しい設備のおかげで、生産性が大幅に向上しました。今では1時間に50キログラム以上の蜂蜜を包装することができます」とバフティヤール氏は話します。「そして、自分たちの工房を作ることで、蜂の巣に関する深刻な問題を解決することができました。以前はタシケントでしか蜂の巣を買えず、1個40万スム(約4,700円)もしました。巣箱を100個購入するために、4,000万スムも支払ったのです。今では自分たちで生産するだけでなく、この地域の他の養蜂家にも巣箱を供給し、新たな雇用を創出しています。」

UNDPとの活動の中で、バフティヤール氏は多くの女性を含む70人以上の人々に養蜂技術を教えてきました。バフティヤール氏の息子は彼の跡を継いでいます。また、女性の起業家精神の育成には細心の注意が払われており、野生の蜂蜜植物の可能性を効果的に活用することで、多くの女性が砂漠での養蜂場の開発に成功しています。詳細はこちら。起業資金を持たない人々のために、バフティヤール氏は支援システムも構築しました。5〜10個の巣箱を提供するとともに、設備の援助をし、経験を共有し、収穫した蜂蜜を均等に分配しています。

a man and a woman wearing a hat
a man wearing a hat
a man holding a piece of cake

この地域では、蜂群の形成に重要な果樹とともに、蜂蜜採取が4月に始まります。

「私たちは5月には、甘草(リコリス)とナツグミから特別な蜜を採取します。リコリスの蜜は、この地域の特産物です。カラカルパクスタンとホラズムでは、リコリスは5月の24日間でのみ開花し、この野生の薬用蜂蜜植物は、それらの地域以外、ウズベキスタンのどこにもありません。」とバフティヤール氏は説明します。

6月10日からは、ミツバチはキャメルソーンやその他の野草に移動します。真夏には開花したアルファルファやゴマから蜂蜜を採取し、8月には綿の蜂蜜でシーズンを終えます。

a sign on the side of a fence
a group of people standing in front of a building

養蜂場の生産性について、バクティヤール氏はこう語ります: 「1つの巣から平均10キログラムの蜂蜜が採れます。2023年から2024年のシーズンにかけては、200の巣箱から2トンの蜂蜜を採取することができました。現在、価格は1キログラムあたり7~8万スム(約6~7米ドル)です」。

 UNDPとの協力により、バクティヤール氏は100の巣箱から採れた製品を合計2億2,000万スム(約1万8,000米ドル)で販売し、1億4,000万スム(約1万1,500米ドル)の純利益を得ました。

 バフティヤール氏は特にリコリスの保存を懸念しています。

「ヌクスでは、民間企業が中国や日本に輸出するために、製薬業界向けのリコリスの根を活発に収穫しています。しかし、この植物が自然界で再生するには5年から10年かかります。持続可能で革新的な農法がない乾燥した気候の下では、自然個体数の回復の可能性は極めて低いのです。これは養蜂家だけの問題ではなく、環境保護団体も注意を払うべきです。リコリスは単なる蜜源植物ではなく、その土地の気候に適応した重要な薬用植物でもあるのです。干ばつやその他の気候変動の影響の増加に伴い、天然の蜜源植物を保護することは以前にも増して重要になっています。」 

農業と養蜂の発展における功績を認められ、バフティヤール氏はウズベキスタン農民評議会から名誉称号「ミネトケシュ・ディイハン(勤勉な農民)」を授与されました。現在、彼の製品は幼稚園や病院、地元の市場にも供給されています。今後は、UNDPが実施している「一村一品」プログラムで研修を受けた後、カラカルパクスタン共和国衛生疫学福祉局の研究所からの認証取得を目指し、最終的には輸出市場に参入する計画です。 

a person standing in a kitchen preparing food

「しっかり計画されたビジネスは自ずと成長します」とバフティヤール氏は振り返ります。「生活の糧とするために10の巣箱から始まった養蜂事業は、一人前の企業へと成長しました。最も重要なのは、我々が単に蜂蜜を生産しているだけではなく、次世代の養蜂家の支援もしているということです。すべての人が自国の発展に寄与することにこそ、私はこの地域の未来を見出します。養蜂は特に重要な役割を担っています。ミツバチと草花が増えれば増えるほど、アラル海地域の回復の可能性は高まるのです。」