太陽光と科学技術を活用し、伝統を守るイラクの新世代の農家

2026年2月10日
Rooftop garden with long planters along a railing and green plants, industrial backdrop.
Photo: UNDP Iraq

イラク南部一帯では、農業は何世代にもわたり地域社会を支えてきた基盤であり、人々の暮らしや文化、そしてアイデンティティそのものを形づくってきました。バスラの象徴であるナツメヤシから、ジーカール、マイサーン、ムサンナーに広がる小麦畑や野菜農園に至るまで、農業は単なる生業以上の存在でした。今日、こうした遺産は危機に直面していますが、新世代の農家たちは科学、再生可能エネルギー、そして気候変動に強いレジリエントな手法を通じて、その未来を再構築しようとしています。

気候変動の影響の下での継承

何十年もの間、伝統的な農業システムはイラク南部の安定をもたらしてきました。しかし、勢いを増す気候変動がもたらす影響は、その基盤を浸食し始めています。農家は深刻かつ慢性的な水不足、土壌塩性化の進行、河川への海水遡上、そして生産性と持続可能性を損なうエネルギー不足といった課題に直面しています。かつては有効だった「湛水灌漑(たんすいかんがい: 土壌の表面を流れる水によって農地に直接水を供給するシステム)」などの慣行は、利用できる水の量が減少し、土地の劣化が進む現状に適合しなくなっています。

現地調査によると、調査対象の農家の約3分の2がいまだに湛水灌漑に依存しており、土壌や水の塩分検査は十分に実施されていないことが分かりました。資金不足、技術的知識の欠如、そして安定したエネルギーへのアクセスの欠如が、近代化を妨げる主な要因として一貫して指摘されています。さらに、ディーゼル燃料への依存や不安定な電力供給は、コストと脆弱性を一層高めています。適切なタイミングで介入が行われなければ、何世紀にもわたり維持されてきた農業システムが持続不能に陥るリスクが高まっています。

この緊急性を認識し、日本政府とUNDPイラク事務所は、イラク南部およびユーフラテス地域における、紛争に配慮した平和構築型の気候対策強化プロジェクトを開始しました。本プロジェクトでは、単なる新技術の導入に留まらず、農家が低排出で気候変動に強い慣行へと移行し、土地、生計、そして社会の安定を保ち、未来世代に引き継ぐために必要な能力を養うことを目指しています。

Group of people seated at tables in a bright cafe, with pizza banners and a presentation screen.
Photo: UNDP Iraq

地域の現実に根ざした科学的理解の深化

変革は根拠に基づいたものでした。実施に先立ち、プロジェクトはバスラ、ジーカール、マイサーン、ムサンナーの各県で測量、土地評価、市場調査を実施しました。さらに、250人以上の農家への聞き取りを行い、変革に向けた制約、優先事項、そして現実的な着手点を特定しました。こうした調査結果に基づき、塩害、非効率な水利用、エネルギーの不安定さ、スマート農業への理解不足といった課題に対処するための、実践的で地域の特性に即したカリキュラムを策定しました。

研修は理論だけではなく、実践に重点が置かれました。2025年末に4つの県で開催された3日間の集中トレーニングには185人以上の農家が参加し、実践を通じて学ぶことで、抽象的な概念を現場ですぐに応用できる具体的なスキルへと結びつけることができました。

参加した農家は、排水を改善し、灌漑の効率を高め、土壌の劣化を防ぐためのさまざまな工夫を取り入れたりすることで、塩害や水不足といった厳しい環境の中でも土地を管理する力を高めていきました。また、塩分が作物にどのような影響を与えるのかについて理解を深め、塩害に強い品種について学び、水を賢く管理することで資源を消耗させるのではなく、生産性の回復につなげる方法についても身につけました。

多くの参加者にとって、この研修は科学の実用性を実感する初めての機会となりました。農家たちは自らの手で農地の土壌と水を検査し、電気伝導度を測定し、仲間との情報共有を通じて学びを深めました。かつてはどこか縁遠い理論として捉えられていた知識が、今では実用的な意思決定として、日々の農作業の中に着実に組み込まれています。

また、研修の対象は家畜管理にも及び、飼料の改善、排泄物処理、衛生管理の徹底を通じ、参加者は動物の健康、環境保護、そして生産性が互いに深く関連していることを学びました。

知識から自信と行動へ

成果は即座に、かつ測定可能な形で現れました。研修前後の評価では、すべての県で技術知識の顕著な向上が見られました。さらに重要なことは、研修で得られた知識が自信に繋がったことです。農家たちは、制約がある中でも、近代的な手法を理解、適応し、そして実用化する能力が向上したと報告しました。

各県において、大多数の参加者が少なくとも1つの新しい手法を直ちに実施するために準備を始めたと回答し、他の参加者も近い将来に近代的な手法を取り入れる強い意欲を示しました。灌漑スケジュールの改善、近代的な灌漑システム、そして再生可能エネルギーを用いた解決策の実施が全ての県で一貫して最優先事項に挙げられました。

この移行の中心にあるのは、太陽光エネルギーへの関心の高まりです。農家たちは、不安定な電力網や高価なディーゼル燃料に代わり、太陽光発電による揚水ポンプを現実的な選択肢として選びました。太陽光発電は安定性をもたらし、排出量を削減し、長期的なコスト削減を可能にします。そして、太陽光発電を灌漑管理の改善と組み合わせることで、水の損失を減らし、収穫期における生産を安定させ、気候やエネルギー供給の変動による影響から土壌と収入を守ることが可能になります。

かつては抽象的な概念と見なされていた「持続可能性」は、日々の選択に根ざした実践的な戦略へと変わりました。よりクリーンなエネルギー、スマートな水利用、健康な土壌、そして運営コストの削減が、強靭な生計への道筋を形成しました。

適応を通して文化の継承を守る

近代的な科学を認識し、行動に移すまでの一連の転換は、イラク南部に新世代の「農業の守り手」が登場したことを示唆しています。農家はもはや、単に気候変動の影響を受ける存在ではありません。彼らは変革に抵抗するのではなく、自らの遺産を守るために科学と再生可能エネルギーを活用し、変革に適応する主体としての行動を強化しています。

伝統的な知識を確かな根拠に基づいて活かし、先祖から伝わる慣行を現代のツールと結びつけることで、農家たちは単に生産を維持する以上のことを成し遂げています。彼らは暮らしそのものを守っているのです。農地は実験の場、そしてしなやかな強さ(レジリエンス)を示す場となり、そこでは太陽光エネルギーが不確実な電力供給に取って代わり、灌漑は憶測ではなくデータに基づいて行われ、管理の成果は収穫量だけでなく、生態系の長期的な健全性によって測られるようになります。

彼らは単に気候危機に耐えているのではありません。その結末を自らの手で描き、イラク南部の農業遺産が、次世代に向けて生産的で、力強く、そして生き生きと続くように取り組んでいるのです。

本プロジェクトについて

イラク南部およびユーフラテス地域における紛争に配慮した平和構築型の気候対策強化プロジェクト (“Strengthening Conflict-Sensitive, Peace-Positive Climate Action in the Southern and Euphrates Region of Iraq”)は、日本政府の補正予算による支援を受け、UNDPイラク事務所によって実施されています。

イラク南部の深刻化する気候問題、特に水不足、土壌塩性化、土地の劣化、エネルギーの不安定性などは、農業を通じた生計、食料安全保障、地域社会の安定を脅かす要因となります。本イニシアチブは、これらの要因に対処し、気候レジリエンスと平和構築、および持続可能な開発を結びつける、証拠に基づいた、拡大可能な解決策の提示を推進しています。


UNDPの「気候の約束(Climate Promise)」は、パリ協定の目標達成に向けて各国が自国の目標や約束を実現するための世界最大のイニシアティブです。パートナー国・機関とともに、このイニシアティブは現在、世界の全開発途上国の80%に相当する120か国で、政府と社会の関係者を巻き込みながらNDCを定めるための支援を行っています。現在までに、これらの国のうち94か国が国連気候変動枠組み条約(UNFCCC)にNDCを提出し、その実施に向けて努力しています。

日本は、気候危機が全人類にとっての脅威であると考え、UNDPと協力し、各国が気候変動対策を加速するよう支援しています。2021年、国連開発計画(UNDP)は、NDCの目標を具体的な行動に移すことを目的とした「気候の約束 (Climate Promise)」の新たなフェーズ「 From Pledge to Impact 」を開始しました。日本はこのフェーズ最大の支援国であり、ドイツ、スウェーデン、欧州連合(EU)、スペイン、イタリアといった長年のパートナーや、英国、ベルギー、アイスランド、ポルトガルといった新たなパートナーとともに、こうした取り組みを加速させています。