自然を回復・強化する「ネイチャー・ポジティブ」な開発は、なぜ数百万規模の雇用を創出し、経済の成長とレジリエンスを高めるとともに、より包摂的な社会の実現に貢献し、長期的に高い投資収益を生み出し得るのか。
自然は職を生み出す:生物多様性への投資が雇用創出につながる理由
2026年6月4日
ボスニア・ヘルツェゴビナにおける森林再生の取り組み(保護地域の持続可能性プロジェクトによる支援)
20年以上にわたり、生物多様性と開発をめぐる議論の中で、私が繰り返し耳にしてきた言葉があります。
『自然は重要だが、雇用や経済成長を優先すべきだ』という考え方です。
こうした見方は、「避けられないトレードオフ(二者択一)」として語られてきました。生態系を守ることは、繁栄を犠牲にするものだと受け止められてきたのです。しかし今日、あらゆるエビデンスがその考えとは異なる方向を示しています。自然環境保全への投資は、経済成長にブレーキをかけるものではありません。むしろ、雇用を生み出し、レジリエンス(強靭性)を高め、より包摂的な社会経済を築くための非常に大きな機会の一つだということが分かります。
世界経済フォーラムは、「ネイチャーポジティブ」な経済への移行によって、2030年までに年間10兆ドル規模のビジネス機会が生まれ、3億9,500万人の雇用が創出されうると試算しています。これを実現させるには、三つの相互関連したセクターでの変革が特に必要です。すなわち、食料、陸地及び海洋資源利用、インフラ・建設産業、エネルギ―及び採掘産業において、再生可能で循環型のネイチャーポジティブなモデルに移行していくことです。
世界的に雇用が伸びなやみ、多くの国で失業が問題になっている中で、ネイチャー・ポジティブな開発への移行は、私たちの世代にとって最強の雇用創出機会の一つとなりえます。現在、世界の就業者数は約33億から34億人と推計されています。国際労働機関(ILO)によると、従来どおりの傾向が続いた場合でも、雇用の増加は年間で1%程度、あるいはそれ以下にとどまり、2030年までに増える雇用はおよそ1億から1億5,000万人にとどまる見込みです。 つまり、ネイチャー・ポジティブな開発モデルへの移行は,自然環境に配慮が足りない従来型のシナリオと比べ、3倍以上の雇用創出効果があるのです。
一方で、農業、運輸、エネルギ―、建設、製造業などにおける、エネルギーシステムの変革により炭素排出のネットゼロを達成した場合、3,700万人の新たな雇用が生まれる可能性があるとのILOによる試算があります。国連環境計画(UNEP)、国際自然保護連合(IUCN)も同様の見解を示しており、再生可能エネルギーの推進をはじめ自然に基づく解決策への投資だけでも、2030年までに最大3,200万人の雇用が生まれる可能性があります。
これらは、単なるおおまかな予測ではありません。 すでに進行している大きな経済的変化を示しているのです。
持続可能な保護地域プロジェクトの一環として、ミラン・マタルガ氏(左)の指導のもと、セルビアトウヒの苗木を植えるボランティアたち
雇用拡大と高いリターンの実現
最も重要なのは、創出される雇用の数だけではなく、その質や持続性です。 生態系の回復は、石油・ガス産業に比べて、4倍近くの雇用を生み出すとされています。太陽光発電は、化石燃料よりも多くの雇用を生み出します。また、グリーンでレジリエントなインフラへの投資は、災害の回避や地域の健康の向上、地域経済の強化などを通じて、1ドルの投資に対して2から6ドルのリターンをもたらす可能性があります。言い換えれば、ネイチャー・ポジティブな投資は、単に環境にとって望ましいというだけではありません。経済的にも、より賢い選択です。
雇用拡大と質の向上
グリーン雇用(グリーンジョブ)は、持続可能で、回復力があり、包摂的でもあります。求められるスキルや所得水準も幅広く、より公平な経済を支える力になります。 こうした点は、私自身の経験からも実感しています。ナミビアで環境・観光省とともに活動していたとき、保護区を活用した観光が、農村から都市までさまざまな地域に収入を生み出しているのを目にしました。職業スキルのある人も、そうでない人も含めて、多くの人に収入が行き渡り、非公式な形で働く人や農村の若者にもその恩恵が届いていました。
例えば、自然環境をベースにした観光は、世界的にも急速に成長している分野の一つで、2025年と比べて2030年までに市場規模が倍増すると見込まれています。さらに、一部の予測では、2035年までに1兆ドルに達するとも言われています。こうした観光は、世界でも特に遠隔地や経済発展のスピードから取り残されがちな地域に富を行き渡らせるうえで、非常に効果的な手段の一つでもあります。
ここで重要なのが、いま世界が直面している雇用の課題は、単に数だけではなく、働く人の尊厳や生活の安定、公平性を担保することが、人々が将来に希望を持てるかどうかにもつながっているという点です。
ナミビア保護景観保全地域イニシアティブ(NAM-PLACE)プロジェクトは、景観保全地域の設立に取り組みました
世界では、約3億人が何らかの職についているにも関わらず、 極度の貧困の中で暮らしています。そんな中、ネイチャー・ポジティブで低炭素な経済における雇用は、長い目で見て、より安定した利益につながります。こうした仕事は多くの場合、地域に根ざし、コミュニティとのつながりが強く、地元主体であることから、海外に移転されにくい傾向があります。分野によっては機械化の影響も受けにくく、生計や公衆衛生、福祉など、さまざまな面でプラスの効果もたらします。そして、こうした労働はその地域の経済の礎となる自然環境を損なうのではなく、回復させていきます。
この地域経済と自然の相互依存関係こそが最も肝要なのです。きれいな空気や水、豊かな土壌、安定した気候は、贅沢ではなく、経済や社会の基盤そのものです。どんな仕事も、こうした自然環境がもたらす根本的なサービスがあるからこそ成り立っているのです。です。きれいな空気や水、豊かな土壌、安定した気候は、贅沢なものではなく、経済や社会の基盤そのものです。どんな仕事も、こうした自然の恵みによって成り立っています。
ネイチャー・ポジティブな経済への移行は、理想論ではなく、理屈に基づく必然性です。今や問われているのは、自然に投資する余裕があるかどうかではなく、どのように、そしてどの規模で進めていくかです。政策の見直しやインセンティブの整備、資金の流れを変える仕組みづくりに加え、自然の価値や進歩の測り方そのものを見直していくことが求められています。
UNDPでは、「ネイチャー・プレッジ(自然への誓い)」を通じて、この変革を進めるため、140カ国以上で各国政府や地域社会と連携し、3つの大きな転換に取り組んでいます。経済成長の捉え方や豊さの定義、インセンティブのあり方を見直すこともその一部です。長い間、GDPは政策議論の中心にあり続けてきましたが、環境への影響や生態系の状態、人々のウェルビーイングを十分に反映できていません。たとえば、短期的な利益を目的に森林を伐採すればGDPは増えるかもしれませんが、長期的な回復力や人々の生計は損なわれてしまいます。
こうした背景から、各国ではこれまでの開発指標に加え、新たな指標の導入が進められており、UNDPでも今年、人間開発指数(HDI)を補完する指標として「自然との関係指数(Nature Relationship Index)」を発表し、人と自然の関係が社会にどのような影響をもたらしているのかを検討する新たな観点を示す予定です。
同時に、金融の仕組みも変えていく必要があります。UNDPでは、自然関連財務情報開示タスクフォース(TNFD)などの取り組みを通じて、自然にネガティブな影響を与える経済活動から、ネイチャー・ポジティブな投資へと資金の流れを変えていく後押しをしています。さらに、130カ国以上と連携し、環境観点からは有害な補助金の見直しや、公的資金の使途をサステイナビリティ目標に合ったかたちに、公的資金のあり方を見直す取り組みも進めています。コロンビアでは、公共の農業金融が、森林破壊を伴わない生産への支援へと徐々に移行しています。ザンビアでは、グリーン債権への税制上の優遇措置により、2億ドル規模の企業によるグリーン債権発行が後押しされました。さらに、生物多様性クレジットの新たな市場も広がりつつあり、保全や再生への追加的な資金を生み出しています。こうした要素はいずれも、ネイチャー・ポジティブな経済を実現するために欠かせないものです。
生態系への投資が経済的にも合理的であることは、すでに明らかです。問われているのは、その現実を経済の仕組みや豊かさの定義にどう反映していくかという点です。経済的成長は、自然資源や低炭素でネイチャー・ポジティブ社会への移行への投資相反するもの、という見方は、もはや立証もできなければ、せっかくの成長の機会を失うことにつながります。ネイチャー・ポジティブな経済こそが持続的かつ公正な雇用を生み出し、真に持続的な成長を支えるものであるからです。自然への投資が経済的にも合理的であることは、すでに明らかです。問われているのは、その現実を経済の仕組みや豊かさの捉え方にどう反映していくかという点です。自然資源やネイチャー・ポジティブで低炭素な移行への投資と経済的利益を対立させる見方では、証拠も機会も見落としてしまいます。ネイチャー・ポジティブな経済は雇用を生み出し、持続的な成長を支えるものです。
クルタのコミュニティにある家族バンク「スマ・チュイマ」で、自身の製品を紹介するハコバ・アギラルさん
著者:パックストン美登利
UNDP生態系・生物多様性プログラム統括