ビジネスと人権の橋渡し:尊厳が守られる社会のために私たちができること

UNDP日本人職員インタビュー:佐藤暁子 UNDPビジネスと人権プロジェクト リエゾンオフィサー

2025年8月28日
A woman speaking at a conference with a projector screen behind her displaying content.

B+HRアカデミーで登壇

Photo: UNDP / Akiko Sato

佐藤暁子さんは、弁護士として10年以上の経験を持ち、現在は国連開発計画(UNDP)で「ビジネスと人権(※以下、B+HR)」の専門家として、取り組み全体の統括や、日本企業への人権デュー・ディリジェンス(HRDD)の促進を通じて、企業のサプライチェーンにおける責任強化に取り組んでいます。 UNDPにおけるB+HRの意義や活動、国際協力に携わるようになったきっかけ、その中で感じるやりがいや葛藤、そして国際協力や開発に関心を持つ方々へのメッセージを聞きました。 


国際協力やビジネスと人権(B+HR)に携わるようになったきっかけは何だったのでしょうか?

小学校からカトリック系の学校に通っていたこともあり、フィリピンのスラムで活動するシスターやカンボジアで地雷で足を失ってしまった方の話を聞いたり、ハイチへの募金活動など、世界各地の困難な状況や国際的な課題に触れる機会が多くあったような気がします。そうした経験を通じて、自然と「世界で困っている人のために何かしたい」という思いや関心が芽生えました。中高では公民の授業を通じて社会や国のシステムを知り、法律を学ぶことが重要であると考えるようになり、大学・ロースクールで国内外の法律を学びました。ロースクールを目指すにあたり、ヒューマン・ライツ・ウォッチ(Human Rights Watch)日本代表の土井香苗さんがエリトリアの法改正に関与した記事に出会い、「法律は国境を越えて人権や開発に貢献できる」と知ったことが、法律家として国際協力に関わる明確なビジョンを持つきっかけとなりました。

「現場を知らずして制度は語れない」

司法試験終了後、法律とは紙上のことのみでは決してなく、法律を通じた開発支援において、現地の文化や社会つまり「現場を知らずして制度は語れない」と感じたことをきっかけに、法律家として、国際・開発協力に携わる上で、実際に現場に行くことが不可欠だと感じました。そのため、まずはグローバルサウスの国に住んでみようということで、当時経済発展の兆しが見えていたカンボジアに8カ月間滞在をしました。その際に、経済発展や社会インフラ整備における企業やビジネスの重要性を感じる一方、発展の兆しを見せる都市の光と、スラムやゴミ山で暮らす子どもたちの現実とのコントラストから格差を目の当たりにし、「誰のための開発か?」「都市の開発の恩恵がなぜ全員に行き渡っていないのか?」と疑問を抱きました。

B+HRの原点とUNDPとの接点

帰国後、国内で弁護士として活動する中で、法律の不完全さ、そしてそのために、セーフティーネットや制度の隙間に取り残される人々の存在を目の当たりにしました。同時に、法律だけでは解決できない社会構造の課題を解決するため、ソーシャルワーカーや自治体などのアクターとの連携が不可欠であると感じました。そうした経験が、様々なステークホルダーと協力し、「司法へのアクセス」、「ガバナンス」や「社会正義」といった取り組みを行うUNDPに親近感を抱き、B+HRに取り組むに至った原点です。

Group of students posing together, holding books, outside a building.

カンボジアに滞在していた頃の写真  

Photo: Akiko Sato

B+HRの取り組みにおいて、UNDPの役割は他の国連機関やNGOとどのように異なり、またどんな強みがありますか?

はじめに、B+HRがとても興味深く、大切だと思う理由は、私たちの日常と深く結びついており、誰にとっても無関係ではいられない重要なテーマであるからです。

たとえば、世界人権宣言が掲げる「すべての人が平等に尊厳をもって生きられる社会」を目指すうえで、私たちの経済活動の背景に何が起きているのか、普段着ている衣服などの商品や利用しているサービスの裏側で、誰かの人権が搾取されていないかを考えることが大切。事業活動を行う国や民間企業、そして私たち消費者による経済活動など、まさに社会と人権のつながりに光を当て、人権が尊重された社会を実現しようとする取り組みがB+HRです。

本来、人権保護の責任を負うのは国家であり、それは現在も変わりありません。しかしながら、国家がその役割を果たせない場面や、多国籍企業が国家以上の影響力を持つケースも見られます。そうした中で、これまでは経済の担い手としてしか注目されてこなかった企業を通じて、いかに人権が尊重をされた社会を実現していくかという考え方、つまりB+HRの活動がますます重要視されています。

多様なステークホルダーと協力を生み出すシナジー

B+HRに取り組むうえで、UNDPの最大の強みは、「開発の総合デパート」とも言えるほどの幅広い分野での実績と専門性にあります。より特定の分野に特化した取り組みに強みを持つ他の国連機関やNGOと比べ、UNDPはガバナンス、気候変動、ジェンダー、平和構築などの開発全般の多岐にわたる分野で、包括的かつ現場に根ざした活動を行っている点が特徴と感じます。B+HRは、企業に限らず行政や司法、地域コミュニティ、影響を受ける当事者など多様なステークホルダーが関わる課題です。UNDPは、様々なアクターとの連携経験を活かし、それぞれの事情や立場を理解したうえで協働できる強みを持っています。

人権侵害の予防や救済においても、制度的な支援にとどまらず、当事者の声を取り入れながら、他機関や民間セクターと連携し、シナジーを生み出す役割を果たしています。実際、UNDPがコーディネーターのような役割を果たし、様々な機関との連携を促進し、持続可能な仕組みづくりを支えている場面は数多くあるかと思います。さらに、紛争等の影響を受ける地域でのビジネスにおける人権デュー・ディリジェンスの重要性も高まっており、B+HRはUNDPが特に力を入れているテーマの一つです。

ビジネスと人権アカデミー(B+HR Academy)は4年目になりますが、どのようなインパクトが生み出されていますか?現在も残る課題について教えてください。


ビジネスと人権アカデミー(B+HR Academy)とは? 

UNDPが日本政府と連携し、日本およびアフリカ・アジア・中南米など17カ国から始まり、現在は5カ国で展開する企業向けプログラムです。 企業が自社やサプライチェーン上の人権リスクを把握し、国際的な基準に沿った人権デュー・ディリジェンス(HRDD)を正しく理解し、実践できるよう支援しています。 詳しくはこちら 


2011年に、国連は「ビジネスと人権に関する指導原則(UNGPs)」を承認しました。これは、政府の人権保護義務を前提に、企業に対しても、人権侵害のリスクを特定し、防止・軽減・救済することを求める、責任ある事業活動に関する国際基準です。これを受け、日本政府も「ビジネスと人権に関する行動計画(NAP)」や「責任あるサプライチェーン等における人権尊重のためのガイドライン」などを策定し、この課題に積極的に取り組んできました。

そして、企業の意識と取り組みに関しても、この4年間で着実に進展して来ています。例えば、B+HRアカデミー参加企業の方から、自社のサプライチェーンにおける人権侵害のリスク調査のため現場視察に行かれた際の気づき・課題や社内浸透に向けた工夫などを共有いただいており、事業活動が誰のどのような人権に影響を与えるかを正しく把握し、予防・軽減・救済につなげる意識は確実に広がっていると感じます。

誰も取り残さないために

しかし、課題も残ります。現状ではB+HRの取り組みは、企業の自主的な努力に委ねられており、まだ多くの企業が、自社の商品の原材料がどこでどのように作られ、どんな人権リスクがあるのか、サプライチェーンを遡って、十分に把握できていないのが現状です。とりわけ、自社や直接の取引先の把握はしやすいですが、グローバルなサプライチェーン全体、特にリスクの高い2次(Tier 2)・3次サプライヤー(Tier3)といった下請け先まで目を向けるのは容易ではありません

指導原則は「100%完璧な対応」を求めているのではなく、リスクを正しく認識し、ステークホルダーとの対話を通じて理解を深めることを重視しています。その点で、投資家や取引先との対話の機会は用意されているように見える一方で、調達・製造現場の労働者など、直接事業活動によって影響を受けるステークホルダーとの対話の機会は依然として限られています。今後、B+HRのさらなる取り組みのうえで、こうした様々なステークホルダーとの対話の機会をもっと設けていく必要があると感じます。加えて、社員による人権課題の取り組みに対する人事評価など、この課題への積極的な取り組みを促進させるインセンティブや仕組み作りが必要だと思います。

スリランカでは、企業と連携しビジネスの現場に人権原則を組み込む活動を進めています。

Photo: UNDP Sri Lanka

B+HRを推進する上で、どのようなやりがいや葛藤がありますか?あわせて、大切にされている価値観も教えてください。

B+HRのやりがいは、その活動が企業や社会に変化を生み、人々や将来世代の幸せや環境づくりにつながっていると実感できることです。たとえば、B+HRアカデミーに参加した企業の方が現地を訪れ、「見て初めて気づいた」「対話を通じて課題の本質が見えた」と語る瞬間には、大きな手応えを感じます。企業の具体的なアクションや前向きな変化にふれることが、自分自身のモチベーションにもつながっていますし、このアジェンダがUNDPを通じて広がっていくことも大きな喜びです。

しかしながら、この課題に取り組むことは非常に難しく、葛藤を感じる場面も少なくありません。 既存の資本主義自体の課題が多く、「何をすればよいのか」「これをしても変わらないのではないか」とその限界を感じて悩むことも多く、日々が試行錯誤の連続です。さらに、構造的な課題に対する変化が目に見えにくく、確実なインパクトが出るまでに時間がかかることも、葛藤の要因です。「人権」課題は様々あり、そのアプローチに絶対的な「正解」はないことも、企業の皆さんが取り組む上でチャレンジと感じているようです。

声なき声への意識と社会への反映

弁護士時代から一貫して意識してきたのは、「声を上げにくい立場の人々の人権をどう守り、その声を社会に反映させるか」ということです。B+HRでも取り組みが表面的にならないよう、背景を理解する姿勢を大切にしています。

人権の取り組みが企業方針と対立しそうな場面でも、国際基準を頭ごなしに伝え一方的に押し付けるのではなく、対話を通じて価値観を共有し歩み寄ることを心がけています。B+HRは国際基準を押し付けるのではなく、企業やステークホルダーと共に「より良い社会」を模索する営みです。時間はかかりますが、多くの学びや仲間とのつながりが私の情熱につながっています。

Group of people in a conference room engaged in a collaborative meeting with laptops.

B+HR アカデミーの様子

Photo: UNDP / Akiko Sato

佐藤さんが思い描く“尊厳をもって生きられる社会”とはどのようなものでしょうか? その実現のため私たち一人ひとりに何ができますか?

私が思い描く“尊厳をもって生きられる社会”とは、誰かの権利を侵害することなく、一人ひとりが自分らしく生きられる社会です。「女性だから」「男性だから」「若いから」といった属性により機会が制限されることなく、どんな社会的な属性であっても「自分には居場所がある」「自分は排除されていない」と感じられる社会を目指したいと思っています。たとえば同性婚についても、個人がどう受け入れるかは自由ですが、多数派の価値観によって権利が制限される社会はあるべき姿ではありません。「表現の自由」も重要ですが、それが他者の人権を侵害してはならず、その線引きも尊厳ある社会には不可欠です。人権という考え方は、ふって湧いてきたものではなく、人類の歴史の反省の上に成り立っており、常に進化させていくことが必要です。

対話/耳を傾けることの大切さ

社会をより良くしていくために、私が何より大切にしているのは「対話」です。特に、障がいのある方やセクシュアル・マイノリティなど、日常の中で声がかき消されやすい人々に意識的に耳を傾け、話し続け、知らないことを学び続ける姿勢を持つことが、誰もが尊厳をもって生きられる社会をつくるうえで欠かせないと思います。

誰しもマジョリティとマイノリティの側面を併せ持っていますが、私自身、学生時代はマイノリティの人権問題への意識が薄く、無意識のうちに分断や抑圧の構造を助長していたのではないかと感じています。その経験からも、少しずつ分断を埋める努力を個人レベルで積み重ねることが重要だと考えるようになりました。たとえば、SNSで当事者の声に触れたり、セミナーに参加したり、日常の中で対話の機会を意識的につくることもできるはずです。本や映画を通じて学ぶことでも構いません。誰もが何らかのバイアスを抱えていますが、それを自覚し、少しずつアップデートしていくことが、より良い社会を築く第一歩になるのだと思います。

例えば、コンフォートゾーンを抜けて海外に出たり、異なる環境に身を置くことは、新たな視点に気づくき見つめ直す良いきっかけになるとおもいます。会議で唯一の女性や男性として参加する場面のように、立場を変えて考えるだけでも新たな気づきが得られるでしょう。そのうえで重要なのは「理解」にとどまらず、「権利」を守る仕組みを築くこと。それこそが、誰一人取り残さず、すべての人の尊厳を守る社会の実現につながるのだと思います。

商品/価格の裏を考える

おしゃれな衣服や流行の食べ物のように、あれもこれもと、商品を購入する行いは、一件幸せに見える一方で、本当に自分自身や地球に幸せをもたらしているのでしょうか?広告やマーケティングで生まれる「欲望」に流されず、安価で便利な商品の背景にあるストーリーを考えたり、そういった大量購入・消費の行動を自分なりの視点で問い直すことが、尊厳ある社会への一歩だと考えます。

もちろん、「正しく」あろうとすることは容易ではなく、大きなプレッシャーを感じるかもしれません。そして、常に100%正しくある必要は無いと思いますし、私もそんな生活はできていません。しかし、その中でも、問題意識をもつこと、何が出来るのかを問い続け、出来る範囲でより良い社会、将来世代にも残すことができる持続可能な社会を作るための行動を考えていくことこそが大切なのではないでしょうか?

そして私は、国連がこのように複雑で困難ながらも極めて重要な課題に対して、理想を掲げつつ取り組みをリードし続ける存在であってほしいと願うとともに、自らもその一員として、その実現に力を尽くしていきたいと考えています。

国際協力や開発の分野を志す学生や社会人に向けて、弁護士としてのご経験を踏まえたメッセージをお願いします。

まずお伝えしたいのは、「国際協力=国連に入ること」ではないということです。国際協力には多様な形があり、日本国内で多様性を広げたり、社会的に弱い立場の人々と向き合ったりと、あなたの半径5mなど身近なところでも関わることが出来るかもしれません。そのうえで、「自分は何をしたいのか」「どんなテーマに関心があるのか」を深く考えてほしいと思います。

国連や国際機関はその手段の一つであり、目標そのものになってしまわないよう、「国連で何をしたいのか」が重要です。キャリアの道は一つではありません。教育、保健、ジェンダー、B+HRなど、分野も関わり方も多様です。企業、NGO、自治体、法律家など、無数の選択肢があります。だからこそ、「自分が本当にわくわくすること」を大切にしてほしいと思います。情熱があれば、自然とアイデアも湧いてきます。

私自身にとっての「わくわく」はB+HRでした。テーマの面白さと多くの人との関わりに魅力を感じました。最初からUNDPを目指していたわけではなく、試行錯誤の連続でしたが、一つひとつの経験が今につながっています。

やりたいことに挑戦してみよう

不安定な時代だからこそ、「やってみたい」と思うことには挑戦してほしいです。納得のいく選択をし、自分が幸せだと思える道を選ぶこと。たとえ失敗しても、それが次のきっかけにつながることもあります。

B+HRを始めた頃は「それ何?」と言われるほど小さなテーマでしたが、今では多くの企業や機関が取り組む分野になりました。だからこそ「他人の評価基準に流されない」ことも大切です。やりたいと思ったら、まず一歩を踏み出してみてください。もちろん、人の話に耳を傾けることも大事です(笑)。

そして何より、自分自身を「決めつけない」こと。経験を重ねる中で、無意識に固定観念が生まれることもあります。だからこそ常に自分をアップデートし、オープンでいることが大切です。私自身もまだ修行中ですが、そんな姿勢を大事にしていきたいと思っています。

Two people smiling during a video call, one in an office setting and the other at home.

佐藤暁子(右)と聞き手(UNDP駐日代表事務所インターン生田)

佐藤暁子 
UNDPビジネスと人権プロジェクト リエゾンオフィサー 

弁護士。上智大学法学部国際関係法学科卒業、一橋大学法科大学院修了。International Institute of Social Studies(オランダ・ハーグ)開発学修士号(人権専攻)。企業に対する人権方針、人権デュー・ディリジェンス(HRDD)のアドバイスや、ステークホルダーエンゲージメントのコーディネートのほか、NGOとしての政策提言などを通じて、「ビジネスと人権」の促進に取り組んでいる。