ワイルドライフ・ツーリズムと環境保全に対する新型コロナウイルスの脅威

パックストン 美登利 | 国連開発計画(UNDP)生態系・生物多様性プログラム

2020年4月28日

Photo: SRT

昔、私が日本でジャーナリストをしていたとき「エコツーリズムのグローバルガイド」という本を上梓しました。「エコツーリズム」は今では聞きなれた言葉かもしれませんが、当時の日本ではまだ新しいコンセプトでした。観光業は目的地にある自然や人的資産が全てあり、こうした資産を破壊するのではなく、維持、改善、拡大することで全ての人・自然・野生動物などがその恩恵を受けることができるのです。

当時この本を書くにあたって多くの国を訪れましたが、そのうちの一つがナミビアでした。そこで現地の人々や野生動物に魅了され、私は帰国してから2010年までの10年間、ナミビアで環境保全と開発の分野で仕事をすることになりました。ナミビアの自然は桁外れに雄大で、それを保全することによってナミビアは多くの恩恵を受けていました。地域住民の参加はナミビアがこの分野で成功を収めた特に重要な要素でした。

「観光業」と聞くと軽薄な響きがあるかもしれません、ましてや「ワイルドライフ・ツーリズム」はもっと!しかし統計によると実は世界でも最も影響力のある産業の一つであるということが分かっています。

ワイルドライフ・ツーリズム

旅行・観光産業は全世界の総GDPの10.3%を占め、農業のGDP割合よりも大きく、2019年だけでも4人に1人の新規雇用を創出しました。ワイルドライフ・ツーリズムの経済的貢献も目を見張るものがあり、2018年には、経済乗数効果を含めるとその寄与額は3,436億ドルで、GDPの0.4%に相当する額となっています。ワイルドライフ・ツーリズムは、世界中で2,180万人の雇用を支え、旅行・観光産業における雇用全体の6.8%を占めていました。またこの割合はアフリカで36.3%とはるかに高くなっています。

観光業は雇用と所得を生み出す何千もの環境保全プロジェクトの中心となり、農村部の人々に活力を与えています。それと同時に「環境保全か搾取か」という議論において自然保護をサポートする重要な論拠ともなっています。

ナミビアの話に戻ると、観光業は主に自然資源をベースにしており、国内で2番目に大きな産業で雇用全体の15.4%、同国GDPの14.7%を占めています。観光業はナミビアの貧困削減と生物多様性保全戦略の中核となっているのです。ある同僚は、コミュニティベースの観光業は富裕層から貧困層へ所得を再分配する最も効果的な方法だと主張します。

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環境保全管理

観光業が貧困削減と生物多様性保全戦略の中核となったことにより、ナミビアでは国土の約50%で環境保全に基づいた土地利用をすることが可能になりました。その内の20%は86のコミュニティベースの自然保護区で構成され、サファリの象徴種となっている砂漠に適応した象、ライオン、および世界最多のクロサイとチーターなどが生息しています。またコミュニティの住民には野生生物から恩恵を受ける権利が与えられており、彼らはビジネスを興し発展させ、都市から離れた農村地域で必要とされている雇用や様々な機会を生み出すことができます。以前密猟者だった人も起業家や野生生物の保護者へと転身しました。野生生物を自分たちの重要な資産として捉えるようになったからです。

突然そんな場所にも新型コロナウイルスの影響が降り落ちて来ました。世界各地で都市封鎖、交通網の麻痺、そして何億もの人々にとって生命線となっている経済活動の終わりが来たのです。旅行・観光業への影響は甚大になるでしょう。世界旅行ツーリズム協議会 (The World Travel and Tourism Council)は最大で7,500万人が今すぐにでも雇用を失う危機にさらされており、最大2.1兆ドルの経済的損失がでると予測しています。過去の例を見ると、感染症の集団感染が発生し、その後経済が回復するまでには平均で約19.4か月という時間がかかっています。残念ながら、都市封鎖が解除された翌日にすべてが正常に戻ることはないのです。

新型コロナウイルスがもたらした世界的な危機は、ナミビアのコミュニティーの自然保護区に住む人々にとっては何を意味するのか。それは、年間の観光収入の320万ドルの損失、そして保護区に住む職員の給与である350万ドルの損失も加算されることになります。野生動物保護レンジャー、コミュニティー自然保護区のスタッフ、その他、農産物、工芸品やサービスを提供するスタッフなど、何万人もの職が危機に瀕しています。

形になるまで30年間を費やした、ナミビアのコミュニティベース自然保護プログラムへの取り組みは深刻な脅威にさらされ、アフリカ全土やその他の地域でも同様の危機が起こっています。こういった事態を鑑み、我々のパートナーシップイニシアチブであるライオンズシェア (The Lion’ Share)では、新型コロナウイルス緊急補助金を立ち上げました。そこで、ワイルドライフ・ツーリズムを主な収入減としているコミュニティを支援し、彼らが困難から復興する力を構築するためのプロジェクトアイデアを募集しています。もちろんこの緊急補助金の援助だけでは足りません。もっと大規模の支援が必要です。

急増する密猟

新型コロナウイルスは人類の健康に関する危機であると同時に、行動規範、移動、観光業、および観光業に依存するすべての環境保全活動に対する巨大かつ前例のない攻撃でもあります。世界中で仕事や生活の糧を失ったコミュニティによる密猟の増加が報告されています。密猟は、新型コロナウイルスのように野生生物から人間へと感染する病原体を再びもたらし、また将来パンデミック(世界的に広がる感染病)が起きる危険性を引き起こします。

最近、将来のパンデミックを防ぐために野生生物の取引を禁止することについての議論が高まっています。各国政府と機関は、どのように新型コロナウイルスによる危機から立ち直り、経済を再構築し、持続可能な開発目標(SDGs)達成に向けた「行動の10年」の枠組みの中でどのように持続可能かつ公正な世界を確立できるかについて議論しています。

自然や野生生物をベースとした観光業セクターは、農村地域に住んでいる何千万人もの脆弱な人々を雇用しているのですから、貧困削減と生物多様性保全への多大な貢献という観点から、大企業と同等と見なされるべきです。現在のパンデミックは、野生生物に関連する経済活動からの収入に頼って生活する少なくとも1億人(非公式の関連サプライヤーやその家族を含む)に直接的かつ深刻な影響を及ぼしています。航空会社、大規模農場、企業だけでなく、自然や野生生物をベースとした観光業セクターとコミュニティーにも多大なサポートが必要です。

自然を守るコミュニティへの投資

世界経済フォーラムは、自然の豊かさの喪失を世界のトップリスクの1つとしてランク付けしています。新型コロナウイルスのもたらした世界的な危機は、自然喪失関連のリスクをものすごくはっきりと実証していいます。自然の豊かさの喪失と野生生物の消費は、コロナウイルスやエボラ出血熱、HIV / エイズなどの動物から人へ伝播可能な感染症の発生の根本的な原因です。

現在、野生生物を主体とした観光と保護を行うことで自然保護に貢献しているコミュニティに対して資金援助することの重要性が以前に増して強調されています。世界が新型コロナウイルスから立ち直るとき、復興戦略には、このようなコミュニティへの資金援助を含めることが重要です。自然は人々の生存、幸福、持続可能な開発を支えています。手つかずの自然は私たちに空気、水、食物を与え、動物から人へ伝播可能な感染症が発生する頻度と強度を減らすための「自然のワクチン」として機能します。今後数十年で数十兆ドルを節約し、数十億の人々が悲劇に見舞われることを回避できるのです。考える必要もないシンプルなことではないでしょうか?


筆者: パックストン 美登利
国連開発計画(UNDP)生態系・生物多様性プログラムのリードとして、130カ国以上の国々で展開するUNDPの自然保護関連の約300件のプロジェクトを統括している。2010-2016年は、バンコクのUNDPアジア太平洋地域事務所で生態系・生物多様性の地域アドバイザーとして勤務。2000-2010年はナミビアで活動。UNDP国事務所勤務を経て、ナミビア政府環境官公庁の国立公園・野生動物局でUNDPと地球環境ファシリティー(GEF)のサポートする国立公園管理強化のプロジェクトをコーディネート。その前は国連ボランティアとしてソマリアとタンザニアでの緊急援助に参加。大学卒業後の最初の仕事はジャパンタイムズの環境記者。日本語で6冊本を出している。横浜生まれ。ケンブリッジ大学修士号取得。
 

Photo: Midori Paxton