東日本大震災の被災地からUNDPの津波対策の最前線へ

東日本大震災から11年。震災の教訓を胸に、現在国連ボランティアとしてアジア太平洋地域の津波対策に取り組む丸山絢子によるエッセイ

2022年3月11日

 

津波で流された石巻線の電車 Credits: Wikimedia Commons

 

あの日福島で窓の外を見ると、大きな歩道橋が波打っていました。人生で一度も経験したことのない大きな地震でした。それまで晴れて明るかった空は突然暗くなり、黒い空から雪が降り吹雪になりました。 2011年の3月11日、日本での観測史上最大の地震の真っ只中にいることをその時にはまだ私は知る由もありませんでした。

当時、私は国際協力機構(JICA)の研修センターで青年海外協力隊員としての9週間の研修を終えたばかりで、あの日は研修の最終日でした。地震が発生したのは、郡山駅で電車を待っているときでした。地震の発生により、電気やガスなどのインフラサービスが止まってしまった中、気温は急激に下がり、寒さに震えました。

停電によって真っ暗になった建物の中に入るのが恐ろしく、青年海外協力隊の仲間と私は携帯していた荷物からセーターを急いで取り出して身にまとい、周囲にいた人々には毛布を渡しました。驚いたことに、大地震の衝撃の数分後には他の多くの人々も同様に行動を起こしていました。コンビニエンスストアの店員は路上にて無料で商品を提供し、バスの運転手がお年寄りや小さな子ども連れにバスの中で休憩するように促していました。

地震の揺れが収まった後、最初に私を驚かせたのは、日本のインフラの強靭さでした。大きく揺れていた歩道橋は小さなひび割れがあったものの、私がいた建物も一見したところ大きな被害は受けていませんでした。頑丈で強靭なインフラは、あのような大きな揺れにもかかわらずそれほど大きな被害を受けていないことが分かりました。そして、インフラの強靭性に加えて、日本の人々の高い防災意識があの日の日本を支えていました。しかし、東北地方の沿岸部で発生した大津波により多くの人が亡くなられたことは大変悲しい出来事でした。

私は3月11日の経験から、災害はいつどこで発生するかわからないからこそ、常に備えに最善を尽くさなければならないことに改めて気づかされました。その経験をきっかけに、災害分野で働きたいと思うようになり、どうすれば災害への備えを高められるのかについて関心が高まりました。

 

日本からの支援で実施されているアジア太平洋地域学校津波対策プロジェクトに参加した生徒 Photo: UNDP Asia-Pacific

 

震災の後、私は青年海外協力隊としてフィリピンに派遣されました。私の任地はいくつかの離島を抱える沿岸地域で、台風被害が貧困の主な原因の1つとなっていました。フィリピンでの経験を通じて、自然災害は人々の生活に深刻な影響を及ぼし、開発途上国の、特に農村地域では最も弱い立場の人々に大きな打撃をもたらすことを学びました。弱い立場の人々は、災害による被害を何度も経験しても、次の災害に備える余裕があまりないからです。

3月11日に私が感じたように、市民同士による助け合いは災害による被害と損失を減らす上で重要です。この助け合いは、数多くの災害を経験する中で培われた、日本の防災能力の表れです。

私は、日本の経験と知識を共有することで命を救うことができることを学びました。そして、開発途上国の防災能力を向上させるために知識を共有しようという日本の熱心な取り組みを知ったことが、防災分野に私が取組んでいる動機の1つとなりました。

2021年より、私は国連ボランティアとして、UNDPが日本の支援を受けて取り組んでいる「アジア太平洋地域学校津波対策プロジェクト」における日本との連携や、アジア太平洋地域の学校における津波対策の強化に携わっています。 2017年の開始以来、このプロジェクトを通じて、アジア・太平洋の23ヵ国で津波災害のリスクが高い学校の生徒、教師、管理者15万人を対象に津波避難訓練を実施してきました。

 

当時タイで初めて新型コロナウイルスの感染者が出た中で実施された津波避難訓練の様子 Photo: Dany Oliveira / UNDP

 

現在、プロジェクトは第三段階に入り、私たちのチームは学校やコミュニティの津波への対応能力を向上させるとともに、国全体、そして地域ごとに複合災害への備えの強化に取組んでいます。災害の打撃と、それに対応する力(レジリエンス)を養うことの重要性を忘れないように、意識を啓発することもプロジェクトの核です。

今日は東日本大震災から11年になります。私の人生が変わってから11年。日本には「災害は忘れたころにやって来る」という諺があります。 3月11日の記憶が時間の経過とともに消えないように、私は常にこの教えを心の片隅に留めていきます。


丸山絢子
国連開発計画(UNDP)バンコク地域事務所 災害リスク管理オフィサー・国連ボランティア
2011年に大学院にて国際開発の修士号を取得し、同年3月より青年海外協力隊(村落開発普及員)としてフィリピンで地域住民の生計向上にかかるボランティア活動に従事。2014年に再び青年海外協力隊(コミュニティ開発)としてモンゴルに派遣され、アジア開発銀行のプロジェクト事務所で貧困地区の住民を対象とした就業率向上プロジェクトにて活動する。2021年12月より国連ボランティア(※)として現職。


※国連ボランティアについては、国連ボランティア計画(UNV)ホームページを参照。